第一回 『催眠術とはいかなるものか?』
・催眠術を知ること
催眠術というと、よく怪しげな呪術やまじないのようなオカルティズムを思い浮かべる人が多いが、それは間違っている。催眠術はきわめて科学的な技法であり、錬金術のようなオカルト思想を根にしたものでは決してないのである。
催眠術が胡散臭く見えてしまう原因の一つに、TVなどでの「やらせ催眠術」がある。通常の催眠ではあのように瞬時にして相手に暗示をかけたりすることは非常に困難かつ不可能ともいえることなので、鵜呑みにしている方は一度その概念を取っ払っていただきたい。
例えば、電車に乗っていると昼間でも眠たくなることがある。睡眠不足でもないのにウトウトとする。完全に眠ってしまう人もいるが、たいていはボンヤリとしながらも頭は働いていて、周囲の物音や人の話し声などもちゃんと聞こえている。
ただ、このときは周囲の話し声や車内放送が、自分とはまったくかけ離れた別世界の出来事のようで、ただの音として耳から耳へ通り過ぎていくように感じられる。さらに、自分がそこにいるという現実感が薄れ、まるで異空間を浮遊しているような感覚になる。
これを「トランス状態」という。
大脳生理学的に言うと、「視聴覚器官を通して脳内神経が刺激され、脳内麻薬物質(エンドルフィン)が作用し、ドーパミンと呼ばれる神経伝達物質を多量に放出された状態」であるが、これは潜在的な意識部分の情動であり、リラックスした状態とも言える。
このトランス状態を、いわば意図的に作り出してしまうことが「催眠術」なのである。
トランス状態を意図的に作り上げるというと、またなんだか胡散臭く聞こえるかもしれないが、これは大昔から人間がやり続けてきたことでもあったりする。
バリ島の祭りでは、ガムランという各種打楽器の音が鳴り響き、夜通し人々は踊り続けるのだが、これは村人全員がトランス状態を求めて行う一種のリラクゼーションなのである。翌日にはまた普通の生活に戻るが、村人たちは確かに祭りで恍惚の至高を体験しており、定期的に祭りという形でトランス状態を地域社会まるごとで作ってしまおうというシステムは興味深いものがある。
現代でも、トランスと呼ばれるクラブミュージックがある。これは電子音でサイケデリックなビートを特徴とする音楽で、130から150くらいまでのBPMを基調とする音楽である。若者たちは、知らず知らずのうちに、リラクゼーションとしてのトランス状態を求めて、トランスと呼ばれる音楽に合わせてクラブで踊っているとも言えるのだ。
しかし、ここで重要なのは、トランス・ミュージックはアシッド・ハウスを起源としたサイケデリック・カルチャーの一端であるという事実である。つまり、ドラッグが絡んでくる。
薬物によってトランス状態を作り出す、というのも、実は起源は古い。紀元前より、人々は祭祀や儀式において幻覚物質などを摂取し、意図的にトランス状態の創造を繰り返してきた。薬物による意識変革を悪いとは言わないが、それだけの力に頼った文化というのはどうにも希薄な感じがしてならない。
ともかく、トランス状態を作り出す、というのは言わば祭りや儀式によって、もしくは薬物によって古くから人々が行ってきた快楽の追求姿勢だ。そして催眠術はこのトランス状態をうまく作り出し、その状態でいかなることが可能であるかを追求していく技術なのである。
またよく誤解されるのが、催眠中に記憶が無くなるのでは? ということである。これはまったくのでたらめで、催眠にかかっている最中もしっかりとした意識はあり、後にきちんと思い出すこともできる。たしかに催眠にかかると、身体の力が抜け、リラックスした状態になるのだが、意識はまったく混濁せず、むしろ心地良い感じになるので、巷で思われているような術者のいいなりになって何かを行ってしまう、ということはまず無い。
催眠に関する誤解はかなり多く、今でも怪しい魔術のような認識でいるという人も多く存在しているのだが、催眠をきちんと知っておけばサロン経営者にとっては大きなプラスとなるものなのである。
・オカルト的側面での催眠術
フランツ・アントン・メスメル(またの発音はメスマー)という人物がいた。彼は1774年に同棲中のヒステリー勝ちな女性に、どういうわけか磁石を近づけて遊んでみた所、彼女が静まったことから、突如として磁石治療に目覚めた。
メスメルは1776年に『惑星の人体への影響』などとマルシリオ・フィチーノやコルネリウス・アグリッパのような宇宙観を提出し、1778年にはパリで開業。その「メスメリズム」(=催眠法)で一世を風靡した。
メスメルの考えは「動物磁気」と呼ばれる流体が存在するという発想に基づいている。この動物磁気というのは人間の体内を流れる磁気のようなもので、それをうまく利用することによって患者の疾患を治すことができると提唱したのである。
しかし、メスメルの理論は当時の医学界からはやはりインチキとしてみられており、77年、盲目のピアニストの少女の治療を試み、これに成功したとメスメルは言ったものの、少女の家族及びウィーンの医師たちはそれを信じなかった。結局、少女は盲目のままであったし(一時的にメスメルの前でのみ視力を回復したとは証言していたらしい)、メスメルの治療は『人々を惑わす悪しきもの』として認知されていく。
このメスメリズムの胡散臭さ、オカルティズムの負の側面こそが、現在催眠術に対するいかがわしさを助長しているのであろう。出発点が『人々を惑わすもの』などというレッテルを貼られたのだから、それも仕方ないかもしれない。
メスメリズムはしかしその後、メスメルの弟子であったピュイゼキュール侯爵をはじめ、ジョセフ・ドゥルーズ、ジュール・デュ・ポテ男爵、シャルル・ラフォンテーヌ、アンリ・デュルヴィルなどの手によって、発展していく。現代の催眠術と呼ばれているものは、メスメルが発見した動物磁気による治療から発展してきたものなのである。
日本にメスメリズムが輸入されたのは明治時代、おそらく当時の心理学者、中村古峡あたりの手によって『催眠術』の概念は広まったのだと思われる。当初は西洋医学の一形態としての舶来品であった催眠術だが、やはりオカルト思想の一端として浸透していくことになった。
日本での催眠術は近年まで、一般的には怪しげなオカルトとして認知されていたと言っても過言ではないほど、キワモノ的な扱いで括られ続けていたため、催眠に対する理解や知識を深めることが大切になってくる。
催眠術がオカルトにせよ科学にせよ、それを使うことによって向上していくという部分について今回は語ろうと思っている。これからサロン等を経営しようという方はどうか先入観を持たずに接してほしい。